山奥に住む龍が時々村に出てきて村人に害をなしていた。そこで、村の青年が何とかこの「龍を屠る技」を修得しなければと苦労してその「龍を屠る技」を体得した。そしたら龍はそれから出てこなくなった。この青年の苦しい修業は無駄であったか村人の話題になった。
その結論は「武」とは「矛を止めるもの」。一生かけて修業し、一朝有事の際は「百年兵を養うはその一時のため也」と社会、世の中のために働くが何もなく平和に終わったときは「我、屠龍の技を修めたり」と安らかに目をつぶる。
「武」とはそういうものである。「武」とは「暴力」ではない。「平和」を守るものである。
中国の故事より(三たび守破離<追録二>2001より抜粋)
森市議'が先頃、この「森の四季"」の中で、「柔道」について書いていた。
それは森市議が小学生の時、静岡の田舎から清水の街へ引越してきて、転校先で「イジメッ子」にイジメられる。
父親はその頃、この辺で最強といわれた柔道教場「錬風館」へ連れて行く。父親は「この柔道でイジメッ子をやっつけろ!! 」と、本当は言いたかっただろうが、「強くなれ!! そして堪えろ」と教えた。
森市議が今回の市長選挙の出馬に当たり、一生懸命やってきた所属党派から邪魔者扱いにされ、出馬を断念し、屈辱に堪えたのは、この時の教え「・・・堪える」の教えからかと、ふと思った。
大学の合気道部に入部してくる新人にその動機を聞くと昔は、「ケンカに強くなりたい」と答える者が何人かいたが、最近は全くない。「健康な体と心をつくりたい」といった格好の良い答えがほとんどである。
そこで、私は言う。「合気道は武道だ、闘争の術だ、人を殺傷する術だ。その術を修練するうちに心と体が鍛えられる。心と体は先の目的ではない」と。すると彼等は言う。「私は心も体も弱い。これで出来るでしょうか」と。
そこで、私は更に言う。「武道は弱い者を強くするためのもの、強い人はやる必要はない!! 」と。そこで彼等はケンカの術を練り、心と体を育て、ケンカはやらなくなる。
武道の中で最近は、合気道に人気がある。合気道は少ない汗で、気合一声、人が舞い上がって飛ぶ「タナ・ボタ」式武道と思っている面があるからである。
しかし、合気道も日本の古い歴史の中から育った汗を多く流す厳しい武道で、最も実戦的な柔術の一派である。
ただ、洋式スポーツにも多くある、相手を騙し合う(フェイントをかける)面は他の武道よりやや多いかもしれない。
今、現代人に屋外から2階へあがってくれというと、多くは合理性西洋流の考え方で「梯子」はないかと、先ず「梯子」探しを始めるだろうと言う。
しかし、わずかだが武道的日本流の考えの人もいる。どこに手を掛け、足を乗せて行けばと上を見上げると言う。この体を使わず、楽に目的を果たそうとする最近の合理性が合気道にも入ってきて、合気道の技法の数を減らし、価値ある技の危険性を除き、良いか悪いかは別として、老若男女誰でも容易にできる合気道にし、合気道人口を増やしている。しかし、戦後まもない時期、日本レスリングをオリンピックでメダル級まで導いた合気道関節技は、まだ活きている。
': 森のぼる氏(当時清水市議会議員)は鍋田開智師範のご友人で、師範とは戦前別の学校で飛行機乗りを志し戦後清水市役所の同期生だった。
": 森の四季は森のぼる市議後援会の発行誌。上記の文は、第12号(1994)春(p6)に鍋田師範が寄稿されたもの。
*このホームページで紹介されている 鍋田開智師範の写真は、奥様にご許可をいただき掲載しています。
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