或る作家の見た女性の武術修業

「護身術というより踊りの稽古なのか」

合氣道日本光輪会 師範 鍋田開智

 

 静岡大学合気道部が今年で、部創立二十年を迎えるという、静大合気道部もいよいよ成人式を迎えたことになる。この二十年、多くの先輩が紆余曲折、部解散事件等多くの問題をのりこえて、静大合気道部の基盤を築いてきた、何人ぐらいの人がこの合気道部の畳で修練をしたのか、相当数になるだろう、そしてその先輩達は、今「静大合気道部精神」をもって、社会で立派な仕事をしているとよく聞く、まことに嬉しいことである。

 

 この二十年の間、部員数は、浜松まで入れると100人になるかという時もあったようだが、最近は何故か減っている、しかし当初、一人もいなかった女性部員は、昨年は別にして増えている、女性の増加で「女子部」分離創設の声を聞いたこともあった。最近、女性で武道をやる人は非常に多い、柔道、剣道、空手、少林寺拳法等、いろいろな武道に進出している、つい最近迄、乱取り試合は禁止していた女子柔道は、ついに五輪出場をねらう時代ともなった、男女平等の声がいよいよ大きくなる時代? まことな結構なことである、古い「日本の文化」武道により、女性が、武道に生き甲斐を感じながら心身ともに健康な母体を完成し、有能な後継者を生み育てるようになるまさに武道修業の意義でもある。

 

 もう大部前になるが、ある全国新聞の夕刊文化欄に「女性の武術修業」と題して、有名作家の随想が掲載されていた。「秋になるとあちらこちらで学園祭がある、その学園祭に呼ばれて気がついたことだが、おどろくことは女性の武術熱である、控室でいっぷくしていると、女の甲高い気合が頭にひびいてくる、私には武術をする女のイメージがどうもぴったりしない、なんだかズッコケた感じになる、・・・・・・・・・・・・・、ある時、私は女子大の学園祭で講演をたのまれたが、ちょうど私の講演する予定の講堂が、合気道部の発表会の会場と同じで、時間が来る迄彼女らの模範演技を見ることとなった、合氣道は、武術でも女性にもっともこのまれているものの一つであるらしい、私は女の武術を見るのはそれが始めてであったが、正直いってちょっと見てどぎもをぬかれた、ひろうされた術のあざやかさにおどろいたのである、かかる方も、かかられる方も女性だが、一人が腕をつきだすと相手がそれを受けたとみるや体が宙に舞い一回転する、それはみごとであった、そしてこの女のこたちが、最近の、とみに女っぽくなった流行の服を着て歩いているかも知れぬと思うとこわくなり、女だとみくびって下手な手だしはできぬと心の中でつぶやいた、・・・・・・・・、しかし、じっと合気道の型の模範演技を見つめながら、私は別の結論に達したのだ、あまり鮮かにわざがきまるので、はじめはびっくりした私も、よく見るうちに、それは投げるわざからくるものでなく、投げられるもののわざからくる、あざやかさであることがわかったのである、なんのことはない、芝居の殺陣(たて)のみごとさのようなものなのだ、武術というより舞踏に近い、投げるものと、投げられるものとの呼吸がぴったり合った演技なのである、ここまでできるようになるのは、大分訓練が必要だろう、しかし実際に路上で不意におそってくる人間を投げとばすようになるには、その十倍もの訓練と、さらに才能も必要であるにちがいない、とするとどうだろう、護身術として実用に役立たせるというよりは、彼女らは相手の呼吸にあった投げられわざにたすけられて、自分で相手を投げとばした気になり、胸をすっとさせているのではないだろうか、とすればなかなかいいストレス解消法ではないか・・・・・・。」

 

 「なんのことはない、投げられ技だ」「なんのことはない踊りの稽古か」何をいうか、ふざけるな、大きな口をきくなら相手をしたらどうかと怒りたいところであり、また、口だけで、体を使うことを好まぬ評論家の「タワ言」と無視したいところでもあるが、考えてみると、女性にかぎらず、我々の近いところでもそのような練習や演武がないわけではない。時々、他道場の女性同士の練習をみることがある、女性同士は、動作が間違ったり、失敗したりすると、互いに顔を見合せて思わず笑い出したりしている、明るい、若い笑いで和気合合はいい、しかしそこに武道修業の厳しさはカケラもない、初心者や下手な人のけい古や演武はまず仲よく楽しんで四戒が多く、不利な体勢から技を仕掛けられると、受身がとれぬ恐さから、また技の痛さを恐れ、技がきまらぬその前に自ら飛んで受身をとる、また「背伸び」をした「頭の演武」をやる、自己満足とも知らず派手に振舞う、また、もともと固い体を更に固くして、ありもしない腕力で「技」らしき真似をする。これでは、正確な「技」をしようがなく、正確な合気道の「動き、体捌き」をしようがない、こんな演武を見せたなら、作家の先生ならずとも、厳しい批評をしたくなるだろう。

 

 「女性の門下生といえば美しくなりたい、という女心から気軽に門を叩く女性もいる、レジャーかスポーツと勘違いしているのではないかと思い、美容なら美容研究所とか、美容体操研究所がいいと勧めると、ケロットとし答える、”ああいうところはサイズとハカリのニラメッコ、食事をへらし瘦せることばかりで不自然、体操も子供だまし・・・。” 求道に徹して、武を極めた父(植芝盛平翁)が生きていたら、たちまち一喝されたにちがいない」(植芝吉祥丸著、合気道入門より)「美容と健康の女の子の合気道」という本も出て驚きだが、合気道は美容法やレジャーではない、勿論踊りではない。

 

 「合気道は武術である、武術とは武技を用いた殺し合いの術であり、そのための準備過程である」(南郷継正著、武道修業の道より)武道は厳しいものである。

 

(昭和62年 初夏)

 

[静岡大学合気道部 創立二十周年記念誌より, 原文ママ]

在りし日の鍋田開智師範(1988年当時)